連続講義

きつねさんの趣味の講義。

現在7講義までありますが、今後も増えていく予定です。

indexや古くとは違い、講義形式でワークは少なめです。


【開催日程】

 日程と各講義の内容は⇩のリンクから。

 https://c-o-l.jimdo.com/

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 2019年

 ▷1月12日 小講義A補講1「キリストの骨」in 東久留米

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 ▷2月2日 小講義A補講2「殉教の栞」 in横浜

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 ▷2月20日 小講義C2スサノヲ編「ヘビガミ考」 in横浜

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補足など

Aの性能を上げるにはラベル剥がし。

できないってラベルが剥がれてるからできるのか?

また、ラベルを剥がしAの性能があがる、

Aの性能=青の書のr2領域が広がる、ととっていいのですかね?

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なるほど、はいその形で大丈夫です。あっているのですけど。

けど、ラベル剥がし=Aの性能アップ→アスリート的な意味での能力アップ

という形でとらえてしまうと4.5講の本質的な意味とはちょっとズレます。

Aは運動能力だけでなく、人生の大きな方向性まですべてを決定しています。


なので、

一流のアスリートや一流のビジネスマン

 ||

ぱっと見Aの能力が高い人

 ||

才能を発揮しているように見える人

 ||

ラベルが少ない人?

とはならない。


 えーと分かりやすくいいますと、

「イチローの脳(A)のポテンシャルがあれば、実は一流の野球選手となって名声を得るよりも、

もっと楽に(肉体をストイックに追い込むことなく)美しく、充実した・・・

つまり総合的な意味で”大リーガー”なんぞよりも、

さらに幸福度の高い職業に就ける可能性を十分に持っていた」

ってはなしです。


一流のアスリートとか、富や名声を(表面的な意味)で得ている人は、

能力開発された人の理想形みたいに見えますけど間違い。

大リーガーの生活なんて、いつでも肉体の調整とメンテナンス+次の試合の移動時間で、

シーズン中はプライベートタイムなんてカケラも存在しません。

生物学的な観点で言えば、とてもではないが、「人間の理想の生活」とは程遠い。

いわゆる薄い意味での「成功者」とかも同様ですね。

だいたい交感神経優位になり過ぎてメンタルはぼろ雑巾です。


>子どものころから、上手だ、できるよって伝えると、できないラベルが貼られないとか。

>でも、私はできるってラベルは貼られますよね。そういうラベルならいいのかな?

 ↑↑↑

これもどちらがいいか?はひとまず置いておいて、

まったく別の観点からみてしまったほうが、

ちゃぶ台をひっくり返せます。


イチローの父親は、息子の”野球というスポーツに対するラベル剥がし”は成功したかも知れないが、

もっと大きな意味で、息子が本来持っていたはずの膨大な人生の可能性を

あらかた叩き潰してしまったかも知れない。

ということ。

言い換えると

”野球選手で成功”という固定されたルートを、

無限の可能性をもっているハズの息子のルンバに強制的にぶち込んでしまった。


ラベルを剥がして→Aの性能を上げていく、

ということをこちらの観点で捉えると、4.5講の意図と合ってきます。


ラベル剥がしの目的は、

単に、

”やりたいことが出来るようになる”

とか

”スポーツの成績が上がる”

”緊張せずに本番に臨める”

とかではなく、

「決して周囲の押しつけや状況の不利などに引っ張られず、

本当の自分のポテンシャル・自分の魂の形に沿った「オリジナルの生き方」を

「自分自身」で大胆に掴みとり、

そして必ず成功するレベルまでAの性能を

さらに上へ、さらに上へと引っ張りあげていく」

ために行うもの。


いかんせん、こういう広い観点(あるいは究極の理想系)を踏まえた上でラベル剥がしをかけていかないと、

浄化範囲が矮小になってしてしまうのです。

また、こういう観点で広範囲なラベル剥がしをしていかないと、、

そもそもの人生のやり始めのしょっぱな

「自分のポテンシャル・自分の魂の形に沿った何か」

が見えてこない。


大方の人が、この”しょっぱなの基礎方針”に辿りつけないまま、

大リーガー的なかりそめの目標や他者から押し付けられた方針で動いて→失敗する。わけですわ。