きつねの日記帳から

こちらはきつねさんがアメブロに書いた過去記事から
お気に入りを抜粋して掲載しています。

たった1つのクールなやり方

                                                  2012-03-19

 

 前回のお金と自分を切り離す方法 、が意外に好評で、

「もっとネタはないのか」という話を頂きました故、

今日は

「はからない生き方」

について


はかる、という言葉はひらがなだと1つですが、漢字だと

計る(計算する)

量る(推量する)

測る(推測する)

図る(画策する)

謀る(策謀する)

諮る(上位の存在に伺いを立てる)


これだけのバリエーションがあります。  

これははかり方のニュアンスがこれだけ色々あることをしめしています。


 ただ、この僕達が何気なく行っている「はかる行為」は実はデメリットが非常に多いです。


 記憶力や推測能力、予測能力がある人ほど、まだ心配しなくてよい事を先回りして不安になってしまったり、

「先手を打っている」つもりで早すぎる一手だったり、

クレバーな人、勉強や経験をしっかり積んだ人ほど、この手の罠にはまって動けなくなります。


 さらにもうひとつのまずいトコは、

いつでも”真昼の花火”みたいに、とても見えにくい形で僕達に提示されている

「神のはからい(執着のない最高の一手、シンクロニシティ、セレンディピティ、気付き促進メッセージetc)」

が、自分があせって行う 「はからい」 のせいで、さらに見えなくなり、掻き消されてしまうトコです。


 ので、こんな時は、「はからない」 と唱えてみて下さい。 

これなぜ今までだれも発見していなかったのか不思議ですが、

有名な「ありがとう」と同じくかなりエネルギーの高い呪文になります。


 ただ意味合いや念=はかってはいけないetc を込めると、さらに「はかる自分」が強調されてしまうので、

あくまで ”意味の無い言葉の羅列” として使うのがポイント。


 この使い方をすると、呪文の作用で自然に自分のはからいが減少してくので、それ任せで大丈夫。


 もし、今なにかに躓いていたり、考え過ぎて袋小路に入っているヒトは、この方法を試してみると、停滞していた流れが一気に動きだしたりします。

 なにより、心の負担がすごく軽減されるので、’楽に、シンプルに生きてく’って意味だけでも、やってみるとおもしろいとおもいます。


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曲は、前回と同じく m-flo の系列で 「Let go」

 m-flo loves YOSHIKA / let go  youtubeより



※おおもとの記事は「たった1つのクールなやり方」


バオバブに貫かれて

2013-08-06


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「あんたたちは美しいけど、ただ咲いてるだけなんだね。あんたたちのためには、死ぬ気になんかなれないよ。」

 サン=テグジュペリ 「星の王子さま」より  バラの群生に対しての王子の言葉

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 昔から、この王子さまの言葉はいつも理解出来ない部分でした。彼は直截にモノを言い過ぎるきらいはありますが、これはさすがに行き過ぎではないかと。


 ただこの年になって、ここに含まれるモノが何となく掴めててきた様です。

この激しい言葉は彼個人の心の揺らぎから出たものというより、もう何段階か上からの”警告”であると。


 安穏とただ咲いているバラ達とは違い、彼は前段で通過儀礼を経験しています。彼が自分の小さな星で培ってきたルール、あたり前だと思っていた世界観が引き裂かれる経験を。

それはとてもつらい通過点だけれども、、そこを通って初めて、かけがえのないもの”価値の本質”が掴めてくる。

それを経ていない者には、価値の本質は理解出来ないし、

またそれゆえに自身が誰かにとって価値あるものに成る機会も訪れない。

(だれもあんたたちの為には死なない)


 この警告は、何回かの通過儀礼を経て大人になった僕達にも新たな意味をもって突き付けられてきます。


 星にいたときの彼のように、僕らは自らの星・・寄る辺としている世界観・・を常に丁寧に観察することを怠ってはいけない。

(子供時代の強制的なイベントではなく、むしろ自発的に新たな”儀礼”を発生させること)

どの時代、どの地面とて、そこに万全の保障などない。

あなたの立っている地面は、王子の故郷のようにバオバブの毒気にあてられているかも知れない。

 

 あるいはもうすでに巨大なバオバブに貫かれているのかも。


 もしそうであれば、王子のように旅立たなければ。

あらたな価値の本質を見出だす為に、また価値の基点となる自分自身を星の崩壊と共に失わない為に。



曲は デヴィッド・ボウイの「starman」 1972

デヴィッド・ボウイ 「starman」 youtubeより 



※おおもとの記事は「バオバブに貫かれて


バベルの塔を越えて

2012-05-08


昨日は、某ワークショップに呼ばれていろいろと話す日でした。

 ユング派の河合先生は、

’100人いたら、やり方は100通り’と表現しておられましたが、こーゆー仕事をしていると、本当にそれを実感します。特に昨日は。


 1:1でもあーでもないこーでもない、と毎回ねじり鉢巻き=これも河合センセの表現=、で挑まなきゃいけないのに、昨日みたいに1:10だの あるいは1:100だのになった時、その全員に染み通るような話や例えをひっぱり出してくるのは、もうこれは神の御技に近い・・・


 ただ、それでも言葉で伝えることの不完全さ、バベルの呪いを乗り越えて、いつかひとつの邂逅が生まれることを期待せずにはいられないです。

1:1でも 1:∞でも  仕事でも プライベートでも。


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 もし僕らの言葉がウイスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受けとって静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。

~中略~

でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウイスキーになることがある。そして僕らは――少なくとも僕はということだけれど――いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。もし僕らの言葉がウイスキーであったなら、と。

                       「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」 村上春樹 

 

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※おおもとの記事は「バベルの塔を越えて